平成の怪物と呼ばれた男 松坂大輔

こんにちは

 

野球大好き甲子園太郎です

 

2020年もそろそろ終わりますね

今年は本当にコロナウイルスによって今までの暮らしが一変した年になったと思います

自分の身の回りでもリモートワークや外出自粛、ソーシャルディスタンス

など新しい常識もできてきて、だんだんとその生活もうけいれてきていますね

ただ大きな出来事としてはオリンピックの中止がありましたね

それに続いて学生のスポーツの大会も軒並み中止になりました

野球でいえば全国高校野球選手権甲子園大会も中止になりました

 

夏の風物詩ともいえる甲子園の中止は高校野球ファンも残念に思いましたよね

なにより3年間という限られた期間でしかできない高校球児たちに与えた影響が

どれほどであったかは想像を絶します

 

そんな甲子園といえば、あなたは誰を思い浮かべますか

田中将大投手と斎藤佑樹投手の壮絶な投げ合い

桑田・清原のKKコンビのPL学園

昭和の怪物江川卓

 

その世代世代によって印象に残っている大会や選手は違うと思いますが、

私の中では圧倒的に松坂大輔投手の存在が大きいです

 

今回は平成の怪物と呼ばれた松坂大輔投手について書いていきます

 

 

1、高校時代

松坂大輔投手は野球の名門横浜高校へ入学しすぐに頭角を現していきます

当時の練習は想像を絶する過酷さだったということですが、

2年生までは「サボりのマツ」と呼ばれるようにサボっていたようですが、

自身の暴投によりサヨナラ負けを喫してからは猛練習に励むようになったそうです

そこからさらに実力を伸ばし「平成の怪物」と呼ばれるように

高校3年生の時の甲子園夏の大会では、

準々決勝PL学園戦で延長17回250球を投げる熱戦を制し、

決勝では京都成章高校を相手になんとノーヒットノーランを達成しました

当時私は小学1年生ですが、相手をバッタバッタと三振にとっていく松坂投手の活躍を

テレビにかじりついて見ていました

 

 

2、西武ライオンズ時代

ドラフト1位で入団した松坂投手は、ふつう高卒ルーキーは2軍でプロにもまれながら実力をつけて数年かけて1軍へ昇格するところを

1年目の4月7日にプロ初先発を果たします

そして、1回裏3番の片岡選手から155kmのストレートで三振を奪った映像は、

よく目にする機会があると思います

1年目から2桁勝利をかざり2002年を除く7年間で2桁勝利を挙げた

松坂投手はまさに「平成の怪物」にふさわしい活躍でした

 

 

3、国際大会&メジャーリーグ挑戦

松坂投手はその実力から国際大会であるオリンピック・WBCで日本代表としても活躍します!

国際大会ではなんと負け知らずという勝負強さを見せつけ、

2度のWBCの日本優勝に大きく貢献しています!!

また、メジャーリーグのチームボストン・レッドソックスへの移籍が決まり、

その契約金が60億円というのは当時相当の衝撃を受けました

メジャーでも1年目から活躍!!

メジャーでも史上5人目日本人では初となる

1年目での15勝と200奪三振を奪い地区優勝、

ワールドシリーズでの日本人初の先発も経験しました

 

 

経歴を振り返るとほんとに時代を代表する大投手であったことがわかります

しかし、度重なるけがにより日本球界に復帰してからは

思うような実力が発揮されず、ファンからもバッシングを浴びることも少なくありません

新庄選手の時にも書きましたが、引き際というのはその選手の印象を

大きく左右するものだと改めて思わされます

ただ時代を代表する偉大な選手であったことには間違いないので、

古巣である西武で復活を遂げて有終の美を飾ってくれることを祈るばかりです

 

がんばれ松坂投手!!!